第一話「天孫、降臨する」

 転校は一大イベントで大変なことだと思う人が結構いるみたいだけど、小学校の頃から何度も引っ越しを繰り返していると、だんだん慣れてくる。
 今時ヨソ者に嫌がらせしようとか言うのも滅多にないし、むしろ転校生は色々気遣って貰えるのでその気遣いを取り払う方が大変だったりする。
 まあそんなわけで転入初日の自己紹介の後、担任教師が「じゃあ何か質問あるやつは手を挙げろ」とか言っても、そんなのはぽつぽつ上がって「前いた学校と何処が違いますか」とか「趣味は何ですか」とかそんな無難なものばかりで、無難な答えを返して最初の授業に入るのがお決まりのパターンってやつだったんだけど。
「で、三人は付き合ってるんですか?」
 こんな質問は今までの経験でも初めてであり。
「ちょ、一体何を!」
「そんな事実はありませんが、湖乃葉さんが新井木くんにちょっかい出していたのは事実です」
「ただ話してたら、アンタが横から口はさんできたんでしょ!?」
「あれが『ただ話してた』? ……ハン」
 一緒に転入してきた女生徒二人がよくわからん言い争いを始めるのだって初めての経験だ。
「で、実際のところどうなんだ?」
 そして本来ならば教室内での生徒のいさかいを止めるべき立場にいる担任教師は、熊オヤジという言葉がぴったりなあごひげをさすりながら損なことを聞いてきて、
「付き合うも何もついさっきが初対面ですっていうか止めなくていいんですか先生」
「あれだ。生徒同士の青春の発露を見守る、包容力のある教師とか言う感じで」
「仕事しろよ聖職者」
 転入初日から担任をなじるのも初めての経験だった。
 そして今現在、まるでどこぞの頭悪いアニメやギャルゲみたいな展開になっている原因はというと、十分ほど前に遡る。




『初日は早めに登校してきてくれ』
 そう言われることは珍しくない。転校の手続き自体は既に済んでいるのでなにかしなきゃいけないというわけじゃないけど、普通は早めに来て担任教師と軽く話をしてからクラスに向かう。
 新しい学校に転入してきた学生の緊張をほぐすのが目的なのか、自分が担当するクラスに連れていく前にその生徒を理解しておこうというのが目的なのかはわからないけど、小さい頃から繰り返した転校の度にそうだったから、まあそういうものなんだろう。
 そんなわけで今回も特に気にすることなく――担任教師のヒゲとか凄くて思わず『熊オヤジ』と呟きたくなったこと以外は特に何の問題もなく、職員室でこれからしばらく世話になるであろう担任に「新井木ミコトです。よろしくお願いします」と挨拶をして「大山積男だ。よろしくな」と返してもらった後に空き教室へと案内してもらっている。
「すまんな。連休明けなんで会議があるんだ。十分ぐらいで終わると思うから、待っててくれるか?」
「はい、わかりました」
 社交辞令じゃなく本当に申し訳なさそうにそう言ってくる大山先生に俺もそう答えて、廊下を歩く。『申し訳なさそう』とは言っても必要以上にへりくだった感じでもなく、なんとなくだけどこの先生は好きになれそうな気がした。
「実は新井木以外にも二人転入してきてな。三人で話でもしながら待っててくれ」
「いいですけど……同じクラスなんですか?」
「ああ。お前も一人で新しいクラスに来るよりは仲間がいた方がいいだろ?」
「はあ、まあ」
 思わずそんな生返事をしてしまう。
 さっきから何度か言っているように転校自体は初めてじゃない、というか親の仕事の関係で割と多く転校してきた俺だけど、同時期に転校してくる生徒がいるって言うのは初めてだった。しかも年度が変わったときとかじゃなく、こんな中途半端な時期に。
「よし、ここだ」
 言われて見てみると、入り口の上には『応接室』と書いてある。
 先生が「やあ、遅れてすまんすまん」とか言いながら中に入っていくのでそれについて行くと、言われた通り中には俺と同じ転校生なんだろう、真新しい制服を着た生徒が二人座っていた。
「よし、じゃあ新井木も座ってくれ」
「はい」
 先生がソファーにどっかと音をさせて豪快に座りつつそう言ってきたので、素直に返事をしてから向かい側のソファーに腰掛けようと思ったのだが。
「どうした、座れるだろう?」
「ああ、はい」
 困った。
 座るように促されたソファーは大きめなもので、確かに高校生が三人座るぐらいならゆったりとは言わなくともぎゅうぎゅう詰めになるという感じでもない。
 だからそっちに転校生であるところの俺たち三人を座らせて話をしようという先生の判断は合理的かつなんの問題もないのだが。
 三人掛けのソファーに座っていた先客に問題があった。いや別に問題って事もないか。そこに座っていたのがどこの相撲部屋から来たんだって言う感じのリックドム真っ青な体型をしているわけでもないし、隣に座ると変な臭いがつきそうとかそんなことは決してない。
 むしろあれだ。平たく言うと美人が二人座っていた。
 ソファーの奥側に座っているのはちょっとウェーブがかった明るい長い髪の女子。座っているからよくわからないけどなんだか体つきもよろしく、顔立ちもいいのでこりゃあもうこの後HRで自己紹介したら男子生徒大喜びで軽いヤツがいたら『彼氏はいるんですか』とかお約束の質問をしてきそうな感じ。
 んでもってその反対側の手前にいるのはと言うと、対称的に真面目そうな――わかりやすく言うと委員長とかしてそうな感じ。烏の濡れ羽色って言うのを昔どっかで聞いたか見た気がするけど、多分そう表現するのがふさわしいだろう綺麗な黒髪を首あたりで切りそろえて、眼鏡のレンズ越しに見える瞳も綺麗な黒だった。
 いやまあ、その表現はとりあえず今関係ない。とりあえずそんなわけで、三人掛けのソファーにはタイプの違う美人が二人座っていた。そしてその二人はどうやらこれからクラスメイトになる転校生らしい。以上状況説明終了。
 俺だって割と健全な男子高校生であり女子に対する興味はまあ人並みには持っているので美人の隣に座るのはやぶさかではない――というかぶっちゃけ二人とも割と好みのタイプではあるので喜んでいいとこだとは思うんだけど、それでも。転入初日の朝と言うことは当然初対面の二人の間に至近距離で座るというのはそれなりに緊張するものであり。
 こうなると二人が美人で好みのタイプであることは逆効果というか静まれ、俺の心臓。思春期の中学生じゃないんだから女子の隣に座ってドキドキとかどれだけ純情なんだ俺は。
 せめてどっちかが詰めてくれれば空いたスペースに座るんだけど、二人ともそんな気はないらしい。まあ奥の娘がこっち側に詰めるのもなんか変だろうから手前の委員長っぽい娘が奥に詰めてくれると助かるんだけど――そんなことを思いながら見ていたら、「どうぞ」と決して大きくはないんだけどはっきりした声を出しつつ膝を引いて俺が通りやすいようにスペースを作ってくれた。
 まあそこまでされて間に座らないというのも何だか変な話なので、「どうも」とか呟きながら間に座る。緊張して座ったからかソファーが思いの外柔らかかったからか、座ったときに微かに体勢を崩して奥側の娘にちょっとぶつかってしまったけど、こっちに顔を向けて「大丈夫?」とか明るい声で聞いてくれたので「うん、ありがと」とか返しつつ座り直した。
 とりあえず、二人とも俺が間に座ることが嫌だったりはしないみたいなので大丈夫。いや、担任に座れと言われて隣に座ったとたんに嫌な顔をされたりしたら割とトラウマものだが。しかも初対面で。
 何とか落ち着いたところで大山先生の方を見ると、髭に覆われた口を開いた。
「さっき説明した通り、俺はこの後会議に出なきゃいけないから、三人にはちょっとここで待っててもらってそれが終わったらクラスに案内するが――一足先に名前は教えておくか。お互いの名前がわからないとやりにくいだろ」
 何がどうやりにくいのかわからないが、別に俺たちの意見を聞く気はないのか言葉を続ける。
「そっちから、湖乃葉咲耶(このは・さくや)」
 手で示しながらそう言うと、俺の右隣に座っていた明るそうな娘が「どうも」と言ってかすかに会釈してきたので俺も会釈を返す。
「んで真ん中のが新井木ミコトな。……あらいぎ、でいいのか?」
「ええ、そうですけど」
 今更ながらそんなことを聞いてきたので素直にそう答えたが、大山先生は何だか首をかしげつつも言葉を続ける。
「で、最後に岩永姫子(いわなが・ひめこ)、と」
「よろしくお願いします」
「あ、うん。こちらこそ」
 見た目の印象通り真面目な娘なのか、そう言ってお辞儀をしてきたので俺も頭を下げつつそう返す。
「それじゃすまんが、さっきも言った通り俺は会議があるから。十分ぐらいで戻ってくるから待っててくれ」
 そう言うと俺の仕事は終わったと言わんばかりに先生は席を立ち、どかどかと足音を立てつつ早足で部屋を出て行った。そして扉が閉められた応接室には本日初対面でお世辞にもうち解けたとは言い難い男女三人が取り残される。
 それとほぼ同時ぐらいにスピーカーからチャイムの音が流れ、さっきまではそれなりに騒がしかった廊下も静かになっていく。多分今のは始業のチャイムか何かなんだろう。
 やがて廊下は完全に静かになり、窓の外からも特に何も聞こえなくなる。壁に掛けられている時計は秒針が音を立てないタイプなのか、本当に静かになった。
 ……正直気まずい。
 さっきも言った気もするが、どうやらお互い悪い印象は抱いてないらしいとわかっても、初対面の男女三人をフォロー無しで放り出されてどうしろと。
 いや別にあの先生に悪気はないんだろうし、職員会議があるならそっちに出るのは当然だろう。だから文句をつけようとしている俺が間違っているのはわかっているんだけど、納得は出来ない。
 なんつーか、あれだ。
 確かにぎゅうぎゅう詰めではないとはいえ、ソファーに三人かけているとお世辞にも余裕たっぷりという状態ではなく、ちょっと大きく身じろぎするとお互いの体が触れちゃうのである。いや別にそこまで女性に免疫がないわけではないというか床に落ちた消しゴムを拾おうとしたらお互いの手と手が触れて『あ』とか昭和の少女漫画を地でいく純情少年というわけじゃないけどそれでもさすがにちょっと。
 先生がいなくなって向かい側のソファーが空いたんだからそっちに移ればいいのかもしれないけど、ここで突然そっちに移るっていうのもどうかと思うし。
 何というか、ぶっちゃけるとさっきも言ったとおり二人ともタイプは違えど好みのタイプなので役得っちゃ役得だし、ここで変なことをして初対面から悪印象したくないというのもある。別にそれだけとは言わないが、これから始まる学園生活に女っ気があるのはとても望ましい。しかもそれが好みの娘だったりするなら万々歳だ。
 そんなわけで立つべきか立たざるべきか、そんなことを思いつつ何だか間が持たないので応接室の壁にある絵でも見ようかと思って少し動いたら、右手がなんだか温かくてすべすべしたモノに触った。
「きゃっ」
「あ、ごめん!」
 思わず反射的に大きな声で謝った。
 向こうは――ええと、確か湖乃葉さんとか言ってたっけ。とにかく「いえ、こちらこそ」とか向こうも恐縮しているみたいだけど、どうやら俺の右手が太股を撫でた――って別にそんな痴漢みたいな事をしたわけじゃないが、それでもスカートとニーハイソックスの間というごく限られた露出部分を偶然とはいえ触ってしまったことは事実であり、間違いなく事故なんだけどだからといってほぼ初対面でいきなり太股触る男ってどうよと思うとどうすればいいのか――
「くすっ」
 俺が何だか狼狽していると、何だかそんな声が聞こえた。
「……え?」
 俺の聞き間違いじゃなければそれは笑い声だった。
 んでもってそっちを見てみると、湖乃葉さんは何だか可笑しそうに笑っていた。なにがなんだかわからないのでキョトンとしていると、湖乃葉さんはツボに入ったのかしばらくの間笑い続け――やがて落ち着いてから、少し荒い息をつきながら言葉を続けた。
「ああ、ごめんごめん。いや、実は転校って初めてだから柄にもなく緊張しちゃってたんだけど、キミがわたしなんか目じゃないってぐらい緊張しちゃってるから可笑しくなっちゃって」
 そう言うとまたぶり返してきたのかくすくすと笑うと、もう一度口を開いた。
「そんな堅くならなくていいって。名前は……さっきあの先生が言ってたか。ミコトでいいかな? わたしも咲耶でいいから」
「あ、うん。ありがとう。……湖乃葉さん」
 いきなり言われてすぐに下の名前で呼べるほど根性はない。しかも湖乃葉さん――まあ考えるぐらいは問題ないから心の中でぐらいは下の名前で呼ぶと咲耶は美人だし。
 それなりに気をつけて、極力平然とした感じでそう返したつもりだったんだけどもどこかおかしいところがあったのか、この上なく楽しそうに――例えて言うなら面白い玩具を見つけたときの子供みたいにって言うか多分本人その気なんじゃないかと気づいて複雑な気分だけどとにかく楽しそうに、とっても明るい笑顔を浮かべた。
「かったいなあ。咲耶でいいって。何のご縁か同じ日に同じ学校の同じクラスに転校してきたんだし」
「いや、同じクラスだったら学校が一緒なのは当然だと思うんだけど」
「なによ、わたしみたいな美人と同じクラスで嬉しいでしょー?」
「うわこいつ、自分で言ったよ」
「うん、自覚してるしそのための努力は欠かしてないもん」
 思わず突っ込んだが、『それが何か?』と言わんばかりに平然と返された。
「とにかくそんなわけで、そんな美人のわたしが言ってるんだから『咲耶』って呼びなさいって。男でそう呼べるのなんて珍しいのよ?」
「いや、そんなこと急に言われてもね?」
「何だよー。呼べよー」
 そんな感じで何だか急速にうち解けてしまったのでさっきまでの気まずさはなくなり、問題は解決したっちゃしたんだけど、次なる問題が。
「ほら。とりあえず試しに一回呼んでみなって。きっとしっくりくるから!」
「いやだから」
 そんな感じで気軽に言ってきてくれるのは嬉しいし幸せなことなんだけど、なんというか。
 さっきからの言動からわかる通り、咲耶はどうやら明るく――なんというかスキンシップというかボディタッチが好きなタイプらしい。
 いや別にそれはいい。何度も言うけど好きなタイプの女子に親しくされて嫌なヤツはいないだろうし、他のやつがどうだろうととりあえず俺は嬉しい。嬉しいんだけど。
「いいじゃんいいじゃん。減るもんじゃないんだし」
「あのね……」
 もう一度確認しよう。ここは応接室にあるソファーの上なのである。そこは限られたスペースであり、特にその気がなくても、それこそちょっと振り向いただけで太股に手が触れるという不幸な――いやまあ不幸というのは語弊があるかも知れないけど、とにかくそんな事故が起きるのだ。そんな限られたスペースでちょっと激しめにスキンシップされて、んでもってその女性が同年代の平均と比べてみても恵まれているプロポーションだったりすると、色々触れちゃうのだ。さっきから。ほんの一瞬、微かにしか触れていない太股の感触なんか記憶の彼方に吹っ飛びそうな柔らかい感触とか。
 特に何かと意識するとなんかもう大変なことになりそうなので考えないようにしているが、決して男性には備わらない柔らかなモノが。
 そしてそんなモノが押しつけられている事を本来ならば指摘するべきだと理性ではわかっているんだけど、人間には理性の他に欲望というものがあり――いやこれはあくまで偶発的な事故なので俺がどうこうという問題ではなく――
 正直なところ、もう何が何だかわからなくわからなくなって来たのでこの幸せな感触を味わいつつ、そしてこれまでの人生においても珍しいぐらい近くに存在している女性の顔を眺めていればいいかなとか思い始めたところで声をかけられた。
「その辺でやめておいたらどうですか?」
 どこからというと俺の後ろから。
 いや、後ろというか隣なんだけど、俺の意識はすっかり咲耶(の一部)の方に向かっていたのでそのままの状態で言うと後ろ。さっきまでの状態に巻き戻して表現すると左隣。
 つまり俺を挟んで咲耶の反対側に座っていた岩永さんがそう言ったわけだ。
 まあ確かに岩永さんの立場に立って考えてみると、多分緊張しつつも転入してきた高校で、同じ日に転入してきた男女が横で何だかごちゃごちゃやり出したのである。正直見ていて気分のいい物じゃないだろうというか俺が同じ立場に立たされたら超ウザいと思う自信がある。
「ごめん。五月蠅かったよね」
「いえ、見ていたところ湖乃葉さんが一方的にちょっかいかけていただけみたいですから」
 素直に謝ったが、そう返された。まあ確かにそうかもしれないけど正直なところそうとも言い切れない部分もあり、だからといって積極的にそう主張するのもどうかと思ったので咲耶の方を見てみたら凄い嫌そうな顔をしていた。
 一瞬、俺の態度が嫌だったのかと思ったけど、どうやらそうではないっぽい。なんというか『苦虫をかみつぶしたような』という表現がぴったりな表情の咲耶の視線は、俺を通り越してまっすぐ岩永さんに向けられている。何か今にも噛み付きそうである。
「別にわたしがミコトと何してても関係ないじゃない」
 そして即座に噛み付いた。どうやらこれが咲耶の本来の姿らしい。多分誰に聞いても「美人」か「可愛い」という答えが返って来るであろう整った顔を惜しげもなく歪め、隠すことなく真っ正面から岩永さんに不快感を示している。
 それで、そんな不快感――って言うかひょっとしたら『敵意』と表現した方がいいかもしれない視線をぶつけられた岩永さんはというと。
「周囲からどう見えるか気にした方がいいって言ってるんです。ミコ……新井木くんも困っているじゃないですか」
 気にもしていないといった風に、あくまで冷静に淡々とそう返す。
 なんというか、炎と氷?
 なんだか背景に猛獣とか何か浮かび上がりそうな視殺戦が突然始まり、それからどれだけの時間が経ったのか。実際には一分も経ってないんだろうけど、それでもさっきまでの言ってみれば脳天気なムードから一変して緊迫した状況に追いやられ、しかもにらみ合いの間に位置している俺としてはかなりの時間が経ったように感じたが、とにかく最初に口を開いたのは咲耶だった。
 しかもその表情はさっきまでの――俺をいじくっていたときみたいな楽しそうな表情だった。
「あんた、ひょっとしてミコトのこと気になってたりする?」
「……ッ! そ、そんなことあるわけないじゃないですか!」
「噛んだでしょ、今」
「噛んでません!」
 ええと、なんだろう。なんだか状況はめまぐるしく展開している気がする。なんというかあれだ。レコーダーに録画されたドラマをだらだら見ていたつもりが、間違ってリモコンのボタンを押して倍速再生されている感じ?
 とにかくそんな感じで状況は進み。
「アンタも遠慮しないで声かけりゃいいじゃない。そこで『わたし、優等生ですから』みたいなオーラ出してないで」
「そんなオーラ出したつもりはありませんが。何ですか、『胸が大きい女性は栄養を胸に取られるから頭が悪い』っていう都市伝説は事実だったんですか?」
 びき。
 なんだろう。なにも音には鳴ってないはずなのに何かがきしむ音が聞こえた気がする。
「いえいえ。例え頭がおよろしくても、あるんだか無いんだかわからないような胸になるのは。ちょっと、ねえ?」
 びきびきびき。
 さっきから聞こえる、この音はなんだろう。何かがきしむような割れるような。と言うか助けて神様。
「ぶっ殺されたいんですか、この胸だけ女」
「あら。お上品な皮剥がれてきたじゃないまな板」
 ゆらり、と。
 いつの間にかお色気ラブコメから伝奇バトルものにジャンル変更されたかのような、例えて言うなら読者アンケートの結果が低迷しているからっていきなり作品の方向性を変えたみたいな唐突さでこの場の雰囲気が変わり、これが読者で話について行けなかったら読むのをやめて本を閉じればいいんだけど、どうやら俺は登場人物らしいのでどうすればいいのかわかりません。
 そして二人は立ち上がり。
「どうしてかしらね。アンタを一目見たときからこうなる気はしてたの」
「奇遇ですね。私もそんな気がしてました」
 お互いに拳を握りしめ。
「お取り込み中っぽいところ悪いんだが、そろそろクラスに移動していいか?」
 いつの間にか戻ってきたらしい先生にそう言われた。
「はい! 今すぐ!」
「五分ぐらいなら待つが」
「いや、いいから! そんな気の遣い方しなくていいから!」
 大山先生が何だか教師らしからぬ提案をしてきたが即刻却下して、とりあえず席を立つ。
「ほら、湖乃葉さんも岩永さんも行こう!」
 そして二人を先導するように廊下に出て。
「新井木、教室の場所知らんだろう」
「じゃあ早く案内して下さい」
 まだなんだか名残惜しそうだった担任教師にそう言って、転入初日は始まった。




「……疲れた」
 怒濤の転校初日を終え、帰りのホームルームを何とか無事に終えたところ俺は机に突っ伏していた。
 応接室でのあの一幕の後、なんだか必要以上にヒートアップしていた二人もそれなりにクールダウンしてたんだけども結局言い争いは再開されて板挟みアゲインだった。
 いや、なんだか微妙に信用しきれないものの一応は担任教師な大山先生がいる前ではピリピリしてはいたものの特に何もなかったんだけど、「じゃあここでちょっと待っててくれ」と言って先生がクラスの中へ入り、中で『お待ちかねの転校生を連れてきたぞー』とかお約束じみたことをやってる間に抗争は勃発した。そこを事細かに描写しても意味がないと思うのでダイジェストでお送りすると、「ミコトのことが気になるならなるってはっきり言いなさいよこの根暗」「何で貴女にそんなことを報告しなきゃいけないんですかこの風船頭」「はン。気になるって事は否定しなかったわね」「人の揚げ足取ることばっか考えていて楽しいですか? 貴女の方がよっぽど根暗じゃないですか」「よし、ちょっとツラ貸しなさい」「全く下品ですね。でもいいです、白黒はっきりさせましょう」「うん、若さ故の衝突はしょうがないと思うけど、せめて自己紹介ぐらいはすませてからにしてくれな」以上こんな感じである。ちなみに一応補足すると最後の台詞は担任の大山積男。アイツひょっとしてタイミング見計らってるんじゃないかと言うタイミングで現れたわけだが、そんな状態で止められた二人が落ち着くわけもなく冒頭に続くわけである。
 その後、六時限の授業を経て現在に至るまでに数回繰り返されたけど全部を思い出すと起き上がれなくなりそうなので勘弁して下さい。
「よう。お疲れ、転校生」
「ああ、えーと……」
 もう全員帰るなり部活に行くなりしたのかと思っていたら、そんな風に声をかけられたのでのろのろと顔を上げた。体を起こす気力はない。
「俺は猿田彦一(さるた・ひこいち)。よろしくな」
「よろしく……って、お前」
 前の席に座って人懐っこそうな笑顔をこっちに向けているのは、朝のホームルームで『三人は付き合ってるんですか』とか聞いてきたヤツだ。
「お前が、お前が余計なことを聞かなければ……ッ!」
 本当なら今すぐ立ち上がって胸ぐら掴んでやりたいが、体を起こすことすら出来ないの状態ではどうしようもない。せめてもの意地と言うことで精一杯の怨嗟を込めて睨みつける。
「いや、そんな目で見るなって。確かに気持ちはわかるが、あそこで俺が聞かなかったら周りの反応微妙になったと思うぞ?」
「ああ、うん。まあ、確かに」
 後ろめたいことは何もないとでも言うかのようにそう言われたので考えてみたが、確かにそうかもしれない。もし自分がいるクラスにやってきた転入生があんなだったとしたら、普通は距離を置くしその距離を縮めるのはとても難しかったかもしれない。
「まあ面白そうだったから聞いてみたかったって言うのも事実だけどよ」
「テメェおぼえとけ。復活したら絶対に復讐してやるからな」
「おう、期待してるぜ」
 そう言ってあっけらかんと笑う同級生を見ると、少し気が楽になって来たような気もする。
「えーと、猿田……だっけ?」
 そう言いながら目の前に座る同級生をもう一度見直してみる。
 髪は短く刈り込んで、大きい鼻がちょっと目立つが明るくて人懐っこそうな表情をしている。
「猿田彦一だ。実はダブりでクラスでもちょっと浮いてるんだけどな。クラスで浮いてる物同士仲良くしようぜ」
「えーと、ダブりって……」
「うん。一人旅してたら出先で旅費が無くなって、生活費と帰るための金稼いでたら出席日数足りなくなった」
「……お前、アホだろう」
 思わず素直にそう言って『しまったか』とか思ったが、ダブりの同級生は本当に愉快そうに豪快に笑った。
「確かにな! まあ、そんなわけで年は上だけどせっかくのクラスメイトなんだしよ。仲良くしようぜ」
 そう言って右手を差し出してきたので、俺も体を起こして握手をする。
 うん、確かにダブりの同級生ってのは珍しいけど、コイツとは気が合いそうな気がする。まだちょっと疲れてはいるけど、もう問題なく動けそうだ。
「どうする? 帰る方向一緒なら案内するぜ」
「あー、ありがたいんだけどこの後呼ばれてて」
「ツミちゃんか?」
「ツミちゃんって?」
「うちの担任。大山積男の『ツミオ』を取って『ツミちゃん』みんなそう呼んでるぜ」
 ああ、あの熊か。なんか朝からの色々のせいかろくな印象はないけど。
「まあ、色々あるけどいい先生だと思うよ。ダブった俺も自分から『うちのクラスで預かる』って言ってくれたらしいし、今回のお前等だって『転入生はバラバラにしない方が馴染みやすいと思います』って熱弁してたらしいしな。いいか悪いかは知らないけど、俺たちのことを考えてくれてると思う」
「……そうなのか」
 よく考えてみればあんなに騒いでいて、怒ってきたりしないのは理解があると取れなくもない。そのくせ決定的なことになる前にはしっかり押さえていた気もするし。
「まあ、変な生徒集めて面白がってるだけって説もあるけどな」
 そう言ってまた豪快に笑うので、釣られて声を出して笑ってしまう。
 笑ってみると、不思議と気は晴れた。
「よし、そんじゃ行くか? 多分この時間なら社会科準備室だと思うけど」
「えーと……」
「案内してやるって」
 転入初日なので場所を知らないというか、朝からあんなで休み時間も割と気が休まらなかったから校内を案内してもらうとなんて発想すら浮かばなかったりしたので、その言葉は非常に助かった。
「さんきゅ。えーと……」
「ああ、なんて呼んでくれてもいいぞ。猿田でも彦一でも。ただし『先輩』とかさん付けは勘弁な」
 よし。本人がそう言うなら下手な遠慮は失礼ってものだろう。
「よろしくな、サル」
「待てコラ」
「ほら、早く行こうぜ。結構待たせちゃってる気がするしさ」
「おい、待てっつーの!」
 そして俺は、口ぶりとは裏腹に何だか楽しそうな友人と一緒に社会科準備室に向かうことにした。




 この時俺は、浮かれていたんだと思う。
 色々あったけど転入初日から気の合う友人ができて――結局は照れることなく親友と呼べるぐらいにまで仲良くなったサルとの出会いは確かに嬉しかった。
 でも転入初日に俺が呼び出されたと言うことは。
「おお、新井木。来てくれないかと思ったぞ」
「ええ……スミマセン」
 多分、俺が来ないとは思っていなかったんだろう。どうやら日本史の教師らしい我が担任教師であるところの大山積男:通称ツミちゃんは社会科準備室の恐らくは自分の席に座って。
「まあ、そう堅くなるな。そこに座ってくれ」
 そう言って椅子を指さした。
ここは応接室ではなく社会科準備室なので、あのふかふかしたソファーではなくパイプ椅子で、テーブルを挟んで向かい合わせに二客ずつの合計四客が並べられているわけなのだが。
「……ちわ」
 テーブルを挟んで右の奥側には咲耶が。
「……どうも」
 左の奥側には岩永さんが座っていた。
 そして空いている椅子は二脚。
 右の手前か、左の手前か。
 咲耶の隣か、岩永さんの隣か。
 思わず振り向くと、サルはとっても楽しそうにウィンクしながらサムズアップしていた。ウィンクがスゲェ上手で逆に腹が立った。
 そう言えば『案内してやる』とか言っていたので、社会科準備室の前で「んじゃまた明日」とか言うことになるかと思ってたんだが、サルはまるで当然だと言わんばかりに一緒に入ってきた。
「なんだ、猿田も来たのか」
「おう。ミコトを案内するついでに顔出しとこうかと思って」
 二人の関係性はまだよくわからないけど、どうやらここに遊びに来てもおかしくない間柄ではあるらしい。いやまあ、そんなことはどうでもいい。
「まあいい、とりあえず二人とも座れ」
 そう、ピンチだった。
 繰り返そう。席は二つ空いている。今ココに立っているのは俺とサルの二人、空いている席は二つ。つまり俺がどっちかに座れば空いた方にサルが座り、立っている人間は一人もいなくなると言う単純明快な話。単純明快な話なんだけど。
 右の席に座るということは咲耶の隣に座るということであり、左の席に座るということは岩永さんの隣に座るということである。
 いや、別に今度はソファーで至近距離っていうこともないし、教室での隣の席よりちょっと近いかなと言う程度の距離だ。別に好みのタイプの女子の隣に座ってドキドキとかそんな思春期の中学生みたいな――いかん、朝と同じパターンに陥りかけている気がする。
「どうぞ」
「ああ、どうも」
 そして考え事をしているときに岩永さんに席を勧められ、思わず自然に席に着いた。
「ああーっ!」
「何ですか騒々しい。あれですか、マグロは泳がないと死んじゃうみたいな感じで、湖乃葉さんは定期的に大声出さないと死んじゃう生物なんですか」
「よし、その喧嘩買った」
「お前等、暴れるんなら外でやれなー」
「いや、止めろよ教師」
 もはや何だか恒例になってきて、誰の発言か注釈を入れなくても問題なくなってきているやりとりの後、空いている席にはサルが座った。
 はす向かいに位置している咲耶がなんだかこっちを睨んできたりしている気もするけどあえて気にしないでおこうと思う。多分ここで何かをすると泥沼だと、誰かが俺に語りかけている。
 とりあえず用件を済ませよう。今日一日でこの状態の二人を放置しておくと危険なことは理解できてしまったので、とっとと帰るのが正解に違いない。
「先生、それで用事って何ですか?」
「なんだ、もういいのか?」
「早くしろよ」
 サルの言うとおり、確かにこの先生はいい先生だし面白い人なのかも知れないが、少なくとも騒動の当事者としては手放しで喜べる人物じゃない気がする。
 まあさて置き、このまま二人がにらみ合っているのを眺めていてもしょうがないと思ってくれたのか、大山先生は口を開いた。
「単刀直入に言うと、お前等三人にうちの部に入って欲しいんだ」
「三人っつーと……」
「うむ。新井木と湖乃葉と岩永だな。ちなみにそこにいる猿田は既に部員だ」
「オウヨ」
 そう言ってまたサルがサムズアップしている――こいつ、アレが好きなんだろうか。まあとにかくそう言うことならさっきの顔を出しに来た云々って言うのも理解できる。
「んで、何部なんですか?」
「歴史研究部だ」
「……ほわ?」
 思わず変な声が出た。
「聞こえなかったか? 『歴史研究部』だ。つまり歴史を研究する部だな」
「ああいや、うん。聞こえてはいたけど」
 うん。この熊親父の声は渋くて良く通るし発音もはっきりしているので聞き取れなかったとか言うことはない。ただ既に部員だと主張している目の前の友人のイメージとかけ離れていたので変に思っただけで。
 でもまあそう言えばここは社会科準備室って言っていたし、周りの本棚とかにはその手の本がずらっと並んでいるみたいだから不思議なことはないのかもしれない。
「それとも、何か他に入りたい部活でもあったか?」
「いや、別に……」
 確かに『何か部活には入ろう』とは思っていたけど、特に希望があるわけでもない。さっきまで突っ伏していたんだからこの学校にどんな部活があるのかも知らないし、『運動部ってガラでもないから文化部かな』ぐらいしか考えてなかったから、別にこの部でもいいっちゃいいんだが。
「実は、この学校の規則で『部活動は五人以上』っていうのがあるんだが、今年は新入部員が入らなくってな。元々ギリギリだった我が部は去年の三年生が卒業した時点で五人を割り込んでいたんだ」
「はあ」
 話はわかった。まあそういうことならおあつらえ向きに三人も転校生が来たなら部活に誘おうというのは当然の考えかも知れないが――
「あれ、でももし俺たちが全員入部しても人数足り無くないか?」
「ああ、今日は来てないけど部長が一人いるんだ。今年は受験だから、あんまり顔出してはくれんがな」
 なるほど、それならぴったり五人で既定人数には達するというわけか。状況を理解できたところで二人を見ると、向こうもこっちに視線を返してきた。まあ、三人とも同じらしい。
 つまり、話ぐらいは聞いてもいい。
「いいですけど、どんなことやるんですか?」
「そうだな。じゃあそれは猿田、説明してくれ」
「オッス」
 そう言うとサルは一度背筋を伸ばして座り直すと、真面目な顔で説明を始めた。
「『教科書一辺倒ではなく歴史のさらなる理解を深め、学問への興味喚起と文化に対する理解を深める』」
 なんか、何かの書類に書いてありそうな堅苦しいことを言った。
「――という名目で集まってるけど概ね好き勝手に来てダベって帰るだけだな」
 そして盛大にひっくり返した。
 うん。色々言いたいことはあるが、とりあえず建前と実際ってヤツを理解できた。
「別に毎日参加しろとか言われるわけでもないし。ぶっちゃけ社会科準備室を『部活動の場所』って名目でツミちゃんが占領しておく為の部活だ」
 更にぶっちゃけた。
 ああ、確かにそう言われてさっき流し見した本棚を眺めてみると、何だかラインナップに偏りがあるような気がしてきた。
 今朝から何度かそんな気はしていたが、期待に適わぬ自分勝手っぷりに軽くあきれつつ担任教師にジト目を送っているってると、サルは言葉を続けた。
「でもツミちゃんの話聞くの楽しいんだぜ? 授業とは違って」
「そう言われると嬉しいな」
「いや、授業も真面目にやれよ」
 サルに一応――多分褒められて喜んでいるようだが、この髭面の担任教師に今日俺は何回突っ込んだだろう。それだけ親しみやすい人格といえなくもないが、それはそれで問題だと思う。教師どうこうの前に一人の大人として。
「まあ、そうだな。興味があるって言うなら話すことには全然問題ないが、どうする?」
「んじゃまあ、せっかくだし」
 サルがこんな事で嘘をつくようにも思えないし、本当に面白い話なら聞いて損はない。
 咲耶も岩永さんも同じらしく、先生の方に目を向けている。
「それじゃあ……そうだな、天孫降臨の話でもするか」
「てんそ……何?」
「『天孫降臨』です。そんな頭で良く編入試験受かりましたね」
 そして話が始まった瞬間威嚇し合っていた。ここに細かいツッコミを入れていたら色々大変なことを学んだ俺は、二人を放置して続きを聞くことにする。
「岩永は知ってるみたいだが、日本神話の一説だな。天皇の祖先が高天原――まあつまり神様たちの国からこの世界にやってきたって言う話だ」
「はあ」
 そんな生返事をする。一応これまでそれなりに勉強をしてきたので天皇=神っていう風に伝えられていたって言うのは知識として知っているけど正直ピンと来ない。それなりに興味があったのでギリシャ神話とか北欧神話は読んだこともあったけど、日本神話はゲームに出てくるメジャーな神様の名前を知っているぐらいだ。
「んでまあ、とにかく天皇の祖先の神様が日本を平定するために降りてきたんだ。本当は偉い長い名前があるんだけど、俗に『ニニギノミコト』って呼ばれてる」
「はあ」
 何故か話を区切ってこっちの方を見つめてきたが、熊みたいなもっさい髭を生やしたおっさんに見つめられてドキドキする趣味はないので、又生返事をして続きを促す。
「んでまあ、ニニギノミコトはこの世界に降りてきたとき『コノハナサクヤビメ』っていう絶世の美女と出会って一目惚れするんだ。そしてニニギはコノハナサクヤビメに求婚するんだけど、コノハナサクヤは照れたのか何なのか『一存では決められないので父親に聞いてくれ』と言う」
 そこまで言ったところで、何だか不思議そうに咲耶が口を開いた。
「え? 何。そのコノハナサクヤってヤツは結婚を決めたから許しをもらいに行くとかじゃなく、その返事もしないで『お父さんに聞いて下さい』って言ったの?」
「まあ、そういうことになるな」
「何よ。父親が許したならオッケーって事は、本人はそのつもりなんでしょ? まず返事してあげなさいよ」
「神話相手に何切れてるんですか。昔の日本だからそうだったんでしょう。今みたいに女性個人の意思が尊重されるようになったのなんて最近の話なんですよ」
 そして岩永さんは容赦なく突っ込んだというかむしろそれは既に攻撃というか口撃だった。上手いこと言っていてもしょうがないので、にらみ合う二人を横目に話の続きを聞く。
「まあとにかくニニギはコノハナサクヤの父であるところのオオヤマツミに遣いを出すんだな。湖乃葉は『自分の結婚の話なんだから自分で行け』というかも知れないが、まあ天皇の祖先で神様だ。自分で行くってわけにもいかなかったんだろう」
 名指しで言われた咲耶は何か言いたそうにはしていたけど、先に言われてしまったので特に何も言ったりはしない。納得はしてないのかちょっと不機嫌そうだったけど。
「それで遣いをもらったオオヤマツミは大層喜んだんだ。まあ言ってみればこれから日本を支配する人だからな。玉の輿って言うならこれ以上の玉の輿はそうそうないだろうし、そんなわけでオオヤマツミは二つ返事でオッケーしてコノハナサクヤを嫁に出した」
 ここまで言って喉が渇いたのか、自分の机の上にあった湯飲みからお茶を飲んで話を続ける。ちなみに、一応招かれた客であるはずの俺たちの前には何もない。やはりこの担任教師は大人として何かが欠落している気がする。
「んで、オオヤマツミはニニギのことをよっぽど気に入ったのか、コノハナサクヤと一緒に姉のイワナガヒメも嫁に出す。今の日本じゃ考えられないことかも知れないが、昔の話だし何より神様だ。一夫多妻でも文句言うヤツはいなかったんだろう」
「はあ」
 何かそう聞くと日本神話も頭悪いラブコメみたいに聞こえてきたが、わざわざ口に出して話の腰を折るほどでもないので黙っていることにする。
「しかしまあ、このイワナガヒメは妹のコノハナサクヤと違って不細工だったんだな。そしてそれを見たニニギは『チェンジ』とでも言わんばかりにオオヤマツミのところに送り返して、コノハナサクヤと婚姻の契りを結ぶ」
「仮にも神話でその例えはどうよって気もするけど、割と酷い話ですね」
「そうよねえ。仮にも神様なんだし、そこは『見た目の美しさなんて関係ない』とかそんな話になるとこじゃない?」
「イワナガヒメも問題あるとは思いますけどね。まあ時代ってのもあるでしょうけど、父親に言われたからって顔も知らない男の処に妹のついでとばかりに嫁に出されて、しかも帰れって言われたら文句もつけずに帰るって言う」
 思わず口を挟んだ俺に続いて咲耶と岩永さんもそう言ってきた。この話に何だか納得がいかないというのは一緒らしい。今朝から色々あったけど、この二人の意見が合うって言うのは初めて見た気がする。
「そうよね。コノハナサクヤも姉さんのこと考えるなら何か言えば良かったのに」
「というか、そんな姿を見てコノハナサクヤは何の疑問も持たずに結婚したってのがちょっと」
 そして珍しく二人が何だか意気投合している中、話は続く。
「そしてまあこの話の落ちなんだが、コノハナサクヤはその名前からわかるとおり花を象徴していて、イワナガヒメは岩石だったんだな。オオヤマツミはニニギの子孫に花のような反映と岩のような永遠の命を与えようと思ったんだけど、ニニギはコノハナサクヤだけを選んだのでニニギの子孫は繁栄したけど寿命が出来てしまったという話だ」
「つまり、見た目に騙されて損をしたって話ですか?」
「まあ、概ねそんな感じだな。不老不死が本当に幸せかとかは歴史じゃなく文学の話になるから置いておこう」
 ……うん。一通り話を聞いて、確かにこう聞いてみるとお堅い印象のあった神話も面白いって事はわかった。こういう話を聞けるなら、名前だけ入部するぐらいならしてもいいかもしれない。
「んで、ここまでが普通に知られてる話で、一応俺が独自に解釈した新説ってヤツもある。入部してくれたらそっちを話そう」
 そして歴史研究部の顧問はそう言ってにやりと笑う。
「ああ、はいはいわかりました。入部するからそっちも話して下さい」
「湖乃葉と岩永もいいか?」
 聞くと二人とも頷く。まあ、ここまで聞いて『じゃあいいです、帰ります』とか言うやつもなかなかいないだろう。そんなに堅苦しい部活ってわけでもなさそうだし、在籍するぐらいなら何の問題もなさそうだ。
 そして俺たち三人の反応を見ると、満足そうに笑みを浮かべてから言葉を続けた。
「まあ『新説』って言ってもそんな仰々しいものじゃないんだけどな。ニニギがコノハナサクヤを選んでイワナガヒメを送り返した理由だが、さっきの湖乃葉が言ったとおり仮にも神様が見た目で嫁にするのを断ったって言うのは、俺もどうかと思ったんだ」
「んじゃ、他に理由が?」
「ああ。さっき説明したが、コノハナサクヤは花なので『美しいけどやがて衰える』、イワナガヒメは岩石なので『美しくないが不変である』というところに注目してみてくれ」
「はあ」
「人間の――それも女性の身体部位で、そう言う部分があるだろう」
「……はあ」
 なんだろう、なんだか激しく嫌な予感がしてきたけど、ここで聞くのをやめるわけにもいかないので続きを待つ。
 そして歴史の教師であり、歴史研究部の顧問であり、担任教師であり多分四十近いと思われる大山積男は、今まで見せたことがなかったような真剣な表情で言葉を続ける。
「つまり、胸だ」
 聞かなきゃ良かった。
「コノハナサクヤは美しいけど衰える――つまり巨乳だけど将来垂れることが予測されるが、イワナガヒメは美しくはないが不変――つまり貧乳なので年取って持たれる心配がないというわけだ」
「最低じゃねえか」
 即突っ込んだ。
「『嫁は顔で選びました』より『胸の大きさで選びました』って方が納得いくだろう。それに姉妹で絶世の美女と不細工というキャラ設定に違和感を覚えることもない」
「キャラ設定とか言うな歴史教師」
 も一度突っ込んだ。
 ちなみに女性陣はと言うとドン引きだった。ドン引きというか何か言いたそうにはしているが、今日さんざくた聞いた罵倒や毒舌を担任教師にぶつける気持ちはないらしい。
「バカ言うなミコト。男だったらすべからく巨乳を選ぶに決まってるだろう」
 そしてバカがもう一人いた。神様、ここにはおっぱい星人が二人います。
「最低」
「死ねばいいのに」
 そして同級生に遠慮する気はないらしい。ダブりであることを説明しようかと思ったが、別にいいだろうというかサルを良く見たらなじられて嬉しそうだった。俺が転校してきて初めて出来た友人は変態でした。
「まあそんなわけだが、新井木はどう思う?」
「は? えーと、さっきの天孫降臨……だかの話で思いつかないかって事ですか?」
「いや、そうじゃない」
 突然聞かれたのでうろたえながらそう聞き返すと、先生は重々しく首を横に振った。
 そしてまた真剣な顔で、
「女性の胸がおっきいのとちっさいののどっちが好きかと聞いてるんだ」
「アホだろうおっさん」
 ろくでもないことを問いかけてきたので最早突っ込まずに罵倒した。
「オッサン言われても引かん! 俺と猿田の性癖ばかり周知のものとされているのにお前は秘密とか許されると思っているのか!」
「いや、意味がわからん!」
 いい大人に不条理極まりない文句をつけられて反論していると、扉の方からガチャリという金属音が聞こえた。そっちに目を向けると出入り口の扉の前にはサルがドドンという効果音でも鳴りそうな程堂々と仁王立ちしていた。どうやらさっきの音は鍵を閉めた音だったらしい。
「すまん親友。俺も赤点チャラにしてもらうためにこの部活に在籍している以上、ツミちゃんには逆らえないんだ」
「そんな親友はいらん! っていうか最低だこのサル!」
 改めてこうしてちょっと離れて見ると、身長は百八十近くありそうな上に割と鍛えてそうながっしりとした自称親友はろくでもない事実を告白していた。
 いやまあ別にそんな必死に隠すことでもないし、この話の流れだったら隠し続ける方が空気読めてないって気もする。
 しかし。
「いいじゃないですか。二人ともうるさいことですし、もったいつけずにちゃっちゃと言えばいいんです」
「そうね。そこの変態二人はどうかと思うけど、ミコトが言うまでわたしたちは帰れないわけでしょう?」まだ個人的にはそんなに親しくなれてないと思っている女子二人の前で赤裸々に告白というのはどうか。
 しかも何の因果か、それこそ神様の悪戯かふたりの胸はその、何だ。おっきいのとちっさいので。
「さあ、早く言え」
「そうだぞ。これも部活の一環だ」
「別に新井木くんがどう言おうと変に思ったりはしませんから」
「そうね。いいからちゃっちゃと答えなさい」
 なんだろう、これからおれの学園生活はこんなんばっかなんだろうか。そんなことを考えつつ、転入初日の日は暮れていった。




 つづく



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