一喜一憂のシンビオシス #05 『美酒嘉肴のニューライフ』


 この俺、岡部倫太郎は大学生である。より正確に言うと東京電機大学の一回生だが、そんな細かいことはどうでもいい。
 まあとにかく大学生であり、世間一般で大学生ともなると一人暮らししているものも珍しくはない。現に学内の知人にもそれなりにいる。
 そして俺もこの度諸事情により――両親が夫婦水入らずで世界一周旅行に行くからなどというふざけた理由はあったが、なんとか無事に引っ越しも終えて一人暮らしをすることになったわけだが。
「いや、あんまり『無事』って感じでもなかったような」
「人のモノローグにツッコミを入れるな!」
 まあ、ダルの言うとおりなのだが。
 色々あったもののミスターブラウンが紹介してくれたアパート――名前だけは『ハイツホワイト』などという横文字のしゃれた名前だが、どう考えても『○○荘』などという名前が似合うボロアパートに住むことになったわけだが、いざ一人暮らしを始めることになったら色々とすることが山積みだったのだ。
 アパートの契約に始まって転居届やら住民票やらなにやらといった役所に提出する書類に加えてガス・水道・電気と言った各会社への連絡も必要であり、そして何より荷物を運搬しなければいけなかった。
 俺一人なので大きい家具なんかは必要ないと判断し、とりあえず服やら本やらPC関連やら、割と細々としたものばかりではあったがそれでも結構な荷物になった。
 とは言っても所詮は俺一人なので引っ越し業者に頼むほどの量でもなく、色々悩んだ末にミスターブラウンに頭を下げて運んで貰ったわけだが――まあとにかくそんな色々があったとはいえ、引っ越しは完了したのだ。何の問題もない。
「まったく、自動車の免許ぐらいとっておきなさいよ」
「貴様だって持ってなかっただろうが!」
「失礼ね、私は免許持ってるって言ったでしょ!」
「日本で使えない免許など、あってもなくても変わらんわ!」
「しょうがないでしょ、私はこっちに住む予定なかったんだから!」
「はいはい、痴話喧嘩乙」
「「誰がだ!」」
 とにかく、そんなわけで引っ越しは無事に完了したのだ。
 理由は未だに教えて貰っていないが、どうやら当面しばらくの間は日本に住むことになった紅莉栖も同じアパートに住むことになり――こっちは元々ホテル住まいだったので荷物と言ってもキャリーバッグに入る程度しかないし、家具とかは新しく買って店に配送してもらえばいいので楽なものらしい。くそ、セレブめ。
「ちなみに、阿万音氏も引っ越し終わったん?」
「ああ、アイツは荷物もほとんどないしな」
 ここでいう『荷物がない』は紅莉栖の『運ぶ必要のある荷物がない』というのとは違い、正真正銘荷物が存在しないという意味なのだが。
 さすがに寝具すら存在しないのはかわいそうだったのでラボにあった寝袋をプレゼントしてやったのだが――よく考えたらアイツ、着替えとかもないんじゃなかろうか。もちろん金も持ってないはずだし、そうすると食事もできてないのではないか。
 鈴羽が家出のために乗ってきたタイムマシンを回収されてから三日。さすがに帰還不能になったのがショックだったのかラボに顔を出したりせず、こっちも引っ越しのドタバタですっかり忘れていた。
 しかし、
「ちょっと様子でも見てくるか」
 そう言いながら席を立つ。
「アパート行くの?」
「ああ。さすがにそろそろ積みっぱなしの段ボールを何とかしなきゃまずいし、細々としたものも買わなければ」
「ん、じゃあ私も行くわ」
「ダルはどうする?」
 紅莉栖が立ち上がって白衣を脱ぎ、いつもの上着を羽織るのを確認してから声をかけてみるが、ダルは振り返ることなく手をひらひらとさせながら答えを返してきた。
「僕はちょっとやることあるからラボにいるお」
「そうか」
「具体的に言うと積んでるエロゲを消化したい」
「そんな報告はいらん」
「ま、それは半分冗談として。明後日あたりにまゆ氏やフェイリスたんが行くって言ってたし、その時ご一緒させて貰うお」
「わかった。じゃあそれまでには客を招き入れられるようにはしておこう」
「ほら岡部、行くわよ」
「ええい、待たんか!」
 そして自分の準備を終えたらさっさと出ようとする紅莉栖の後を追って、俺もラボから出て行ったのであった。

     ◇

「阿万音さん、本当に大丈夫なの?」
 紅莉栖にそんなことを聞かれた。
「ああ、あいつのことだから大丈夫だとは思うが……」
 まさか飲まず食わずと言うこともあるまいし、いざとなったら虫や雑草でも食べる――と言っていたのはα世界線の鈴羽だったか。この世界線でもひょっとしたらそう言ったサバイバル知識を持っているのかもしれないが、それを使わずに済むならそれに越したことはないだろう。
「メアドとか聞いておくか」
「あれ、知らなかったんだ」
「ああ」
 意外そうに聞き返されたが、それは間違いなく事実である。α世界線ではメアドを交換したりもしたが、世界線の移動に伴い俺のアドレス帳から消失している。
 なんだか満足している風に見える紅莉栖の言いたいことはそういうことではないのだろうが、あえて厳密に説明する必要はあるまい。あえて秘するべき真実というものは存在するのだ。
「とりあえず買い物を済ませてアパートに向かうとしよう」
「そうね」
 いつまでも立ち話しているわけにもいくまい。しかもドンキの店内で。
 ただでさえ狭い店内で、しかも男女でそれなりに仲良さそうに話していると周囲の視線が痛い。自意識過剰という気もするが、なんとなくそんな気がする。
 というかいつもの習慣でドンキに来てしまったが、生活していくとなったらもう少し別な店を開拓するべきなのかもしれない。まあ、その辺は追々探していけばいいし、萌郁かミスターブラウンあたりに聞いてみてもいいだろう
「とりあえず、歯ブラシか」
「あとは洗面用具と……洗面用具はこの辺ね」
 そんなことを話しながらぽいぽいとかごに放り込んでいく。
「蛍光灯はあるんだっけ」
「ああ、それは真っ先に……というか、自分の部屋ぐらい自分で確認しろ。お前、ほとんど来てないだろ」
「しょうがないでしょ、こっちに住むとなったら色々手続きがいるのよ」
 まあ確かに、紅莉栖の引っ越しはアメリカから日本という国をまたいだ引っ越しなのだ。時空を超えた家出を敢行した鈴羽の陰に隠れて忘れがちだが、手続き面で言えばこっちの方が色々と大変なのかもしれない。
「一応なんとかめどはつけたからいいんだけど」
「ふむ」
 そんな話をしていると自分の方は大丈夫だったのかと心配になりもするが――まあ、アパートの契約は無事済んでいるしガス水道電気も大丈夫なはずだ。あとは必要なことが判明してからでも大丈夫だろう。きっと。
 一応確認してみてもいいが、こう言うときにアドバイスを貰えそうな大人と言えば、ミスターブラウンぐらいしか思い浮かばない。ここ最近ミスターブラウンには借りを作りっぱなしなので、あまり頼りたくはない。
 ちなみに、普通だったらこう言うときには一番に聞くであろう我が両親はと言うと、昨日豪華客船で旅立った。まったくもって頼りにならない。
 まあその両親に家賃と生活費を出して貰っている以上余り偉そうなことを言えた立場ではないが――ええい、こんなことばかり考えていてもしょうがない。
「あとは食器か」
「そうね。橋田の話だと、まゆりたちも来るんだって?」
「ああ。というか他のラボメンもちょくちょく遊びに来そうな気がする」
 もちろん、それが嫌と言うことではないが。
「じゃあ、人数分買わないと」
「いや、さすがに皿とか茶碗は今買わなくてもいいのではないか?」
 コップは数があった方がいいかもしれないが、皿や茶碗を使う機会が早々あるとも思えない。そもそもそれらは自炊しなければ必要にならないのだ。
 親元から離れて一人暮らしする以上、ある程度の自炊は必要だということはわかっている。しかし、安易に考えてはいけない。俺は、過去の教訓を無駄にするわけにはいかないのだ。
「なによ、料理しないの?」
「お前は……するのか?」
「その反応の意味が理解できないわけだが」
 ああ、そうだろう。この世界線の俺と紅莉栖は出会ってからまだ二ヶ月足らずであり、紅莉栖が俺に料理を振る舞ったことはない。というか、俺が細心の注意を払って逃げてきたわけだが。あの悲劇を繰り返さないためにも。あの歴戦のバイト戦士、阿万音鈴羽をして『最悪』と言わしめたアップルパイを再現するわけには――!
 しかしさすがにそれをそのまま言うわけにもいかず。
「まあ、その辺はもう少し落ち着いてからでいいだろう。どっちにしろ、今から料理するほど余裕があるわけでもない」
「むう……」
 そんな感じでフォローを入れると、不承不承ながらも紅莉栖は納得してくれたようだった。
 もちろんこのまま永遠に逃げ続けるのは不可能だろうし食費のことを考えると自炊する必要はあるのかもしれないが、それには前もって念入りな準備が必要だ。少なくとも、今はその時じゃない。
「とりあえずコップは多めに買っておくか。足りないよりはいいだろう」
「食器棚とかあるの?」
「ああ、そういえばなかった……けど、ここだと家具とか全然ないしなあ」
 実家には食器棚や自分用のタンスなんかもあったわけだが、それらは昔から我が家にあるものなのでさすがにごつすぎるので今回の引っ越しでは持ってこなかったのだ。従って当然それらも買う必要はあるのだが、秋葉原のドンキにそんなものがあるわけもない。
とは言ってもいつまでも服を段ボールに入れたままというわけにもいかないし、本棚とかも買わなければいけないだろう。あと、冷蔵庫とかも必要だな。
「今度、上野あたりに出てみるか」
「免許があれば……」
「ええい、うるさいわ! それは貴様も同じことだろう!」
「だから、私は免許持ってるって言ってるでしょ!」
「日本で使えない免許なんぞあっても意味はないだろうが!」
「あんたはアメリカ行っても運転できないじゃない!」
「うぐっ」
 あまりにも真っ当な意見に思わずつまってしまった。
 それはほんの一瞬のことだったが、紅莉栖がそんな隙を見逃すわけもなく。
「フフン。どうしたのかしら、鳳凰院さん?」
「くっ……」
 見事に上からだった。
 くそ、こんなことなら高校を卒業した時点で免許を取っておくべきだった。
 親には勧められたものの正直なところめんどくさく――というか、もし免許取ったら仕入れの手伝いをさせられるのが目に見えていたので「東京に住んでれば必要になることもない」とか何とか言って逃げ切ったのだが、まさか必要になる時期が訪れるとは。しかもこんな割とすぐに。
 とは言っても時既に遅しというか、今から取ろうと思ってもすぐに何とかなるものでもないわけだが。とは言っても、このままにしておいていいわけがない。
「ええい、よかろう! 免許ぐらい、この俺が本気になればすぐに取得できると言うことを教えてやる!」
 うむ、そうだ。『必要とは思えないから』という理由で免許を取らずにいたのだから、必要と感じた今から取りに行けばいいのだ。それだけの話なのである。
 しかしながらそんな俺の決意を知ってか知らずか、目の前の紅莉栖の様子は変わらない。
「はいはい、せいぜい頑張ってねー」
「あ、こら。ひょっとして口だけだとか思ってないか!?」
「いやだって岡部が教習所で教官を横に乗せて安全運転を――ぷっ」
「……どうした」
「いや、想像したら思いの外しっくり来て」
 そう答えながら、まだ笑っている。
 ええいくそ、こいつ絶対ろくな想像してないぞ。きっと俺が細かいミスで教官に突っこまれて謝っている姿とかを想像しているに違いない。思わず俺も想像したので間違いない。
 ともあれ、このままいつまでも笑われているわけにもいかない。
「俺が免許取ってきてから謝っても遅いのだぞ」
「免許取ってきてからいいなさい」
「フン、よかろう。助手席でこの俺のドライビングテクニックに酔うがいいわ!」
「はいはい……え?」
「ん? どうしたいったい」
「な、なんでもない!」
 どうしたことか。いつも通りのやりとりであり、ついでに言うなら紅莉栖が優位だったと思うのだが、何故か急に黙ってしまった。しかも大して興味もなさそうな小物をまじまじと見ているが、挙動不審なことこの上ない。
 となると今の会話に紅莉栖をうろたえさせる要素があったということだが――
「……あ」
「な、何よ」
「いや、なんでもない」
「そ、そう」
 いやアレはそう言う意味ではなく。どちらかというと売り言葉に買い言葉的な流れでよく考えずに飛び出した言葉であり、さしたる意図はなかったのだ。
 そう、俺は日常生活に不便を感じる機会があったから免許を取ろうと思ったのであり、決してそんな紅莉栖を助手席に乗せてドライブに行こうとかそんな動機ではないのだ。
 とは言ってもそれが嫌なのかと言われればそんなことはなく、そもそも紅莉栖を見返すという意味から見ると隣に乗せて運転するというのは理にかなった行為なのである。うむ。
 それを世間ではドライブデートとか呼ぶんじゃないかという意見については却下する。
「ま、まあ待っているがいい」
「わ、わかった」
 そんな風にぎこちなく言葉を交わした後、言葉少なに生活雑貨を買いそろえてそそくさとドンキを後にしたのであった。

     ◇

 中央通りのドンキを出て、歩くこと数十分。ようやっと我が家が見えてきた。
 何度見てもその外観はボロ――いや、我が家をあまり酷く言うのもアレなので言葉を選ぶと、風情とかわびさびとか年期が――そもそもその手の表現をしない方がいいのかも知れない。
 ともかく夕焼けに照らされる我が家を眺めつつ、俺はその歩を進めていく。
「なあ、一ついいか」
「何?」
「そろそろ荷物持ちを交代してもいいころだと思うのだが」
「荷物を女に押しつける男の人って」
「ええい、俺は頭脳労働者なのだ! この男女同権の時代に――」
「はいはい、わかったわかった。じゃあ次の信号で変わってあげるから」
「いや、どう見てもアパートまでの間に信号ないよな!?」
 ドンキで買い物を終えたあと、紅莉栖が突然「荷物持ちをジャンケンで決めましょう」などと言いだした。ちょっと変なムードだったのでそれを払拭する意味も含めて俺はその申し出を受けたのだが――まあ、見ての通り負けて俺が荷物を運んでいるわけである。
 結局のところ買ったものはコップや皿といった食器類や細々としたものなので『重くて持てない』というほどのものではないが、それでも量があるので割ときつい。それに加えて中身に割れ物があることを考えると扱いを荒くするわけにもいかず、心身ともに割ときつい。
 とは言ってもジャンケンに負けたことは紛れもない事実である。もう大した距離でもないのでもう少し頼めば交代してくれるだろうが、こいつに必要以上に弱みを見せるわけにはいかないのだ。色んな意味で。
「ええい、では先に立って部屋の扉を開けておけ!」
「はいはい、頑張りなさい」
 くそ、楽しそうだなコイツ。
 俺の言葉通り、楽しそうに微笑みながらも先に立って誘導する紅莉栖に続いて階段を上っていく。
 今時なかなか見られない鉄階段を音を立てて踏みしめ、二階へと登って我が部屋へ――
「岡部!」
「ん?」
 いきなり荒げられた紅莉栖の声に反射的に足を止めると、目の前の扉が開いてくるところだった。そこまで騒ぐほどのことでもないが、紅莉栖に先導して貰ったのは結果的に正解だったと言うことか。
 しかし今になって冷静になってみると、そんな大した勢いでもないというかむしろのろのろというかよろよろというか、そんな感じで力なく開けられた扉の向こうからはこれまたよろよろとその部屋の住人が出てきた。
「……こんにちは」
 言うまでもなく、桐生萌郁その人である。いやまあ、萌郁の部屋の扉が開いたんだからそれ以外の人間が顔を出すわけが――なくもないかもしれないが、ともかく萌郁が出てきてそう挨拶をしてきた。
「あ、ああ」
「こ、こんにちは」
 とりあえずそんな風に挨拶を返すが、その後の言葉に詰まってしまう。
 萌郁はブラウン管工房のバイトだしラボメンでもあるので今更緊張するような間柄でもないとは思うのだが、顔を合わせるシチュエーションが違うとどうにも落ちつかない。
 そしてそれは紅莉栖も同じなのか、三人とも半ばお見合いのような状態で見つめ合うことになってしまった。
「……声、聞こえたから」
 なるほど、確かにこのアパートが防音とかその辺に気を遣ってるとは思えない。そんなところに俺と紅莉栖がぎゃーぎゃー喚きながら階段を上ってきたら、萌郁の部屋でも聞こえたのだろう。
 これからここで暮らすのだから、ご近所さんに大してそういう気遣いは必要なのだろう。
「すまんな。五月蠅かったか」
「ううん」
 素直に謝ってみたら、そう言って微かに首を振った。
 つまり、うるさいから文句を言おうと思ったとかそういうわけではなく、ただ単に人の声が聞こえたから出てきただけらしい。
 そしてまた会話が止まってしまった。
 しかしいつまでもこうやってお見合いしているわけにもいかないのでなんとかしようと思い紅莉栖の方に目をやると――思いっきり目を逸らされた。ええい、頼りにならん!
 ここはやはり俺が主導権を握らねばなるまい。
 そう思ってまた萌郁の方に向き直り――
「おそば食べる?」
 いきなりそんなことを聞かれた。本当にいきなりだった。
「……何故」
「引っ越しそば」
「それは逆じゃないか?」
「遠慮しないで」
 そう言うと萌郁はさっさと部屋の中に戻っていく。扉が開けっ放しと言うことは俺たちに入ってこいと言うことだろうが――
 紅莉栖の方を振り向くと、若干戸惑ってはいたものの少しして頷いた。
 確かにいきなりの申し出ではあったが、それを断る理由もない。ラボメンだということを考えなかったとしても萌郁は同じアパートに住む、しかもお隣さんなのだ。そのお隣さんがもてなそうとしてくれているのだから、ここで断るというのも逆に失礼かもしれない。
 それになにより、俺も紅莉栖も小腹がすいていたのは事実だった。
「では、邪魔するぞ」
「お邪魔します」
「ん」
 一応声をかけてから中に入ると、萌郁は奥の部屋で何かごそごそとやっていた。
「桐生さん、料理得意なの?」
「麺類なら」
「ほう」
 紅莉栖の問いに大して、奥の部屋から声だけでそう答えを返してくる。
 正直なところ意外な気もしたが、よくよく考えてみると萌郁は成人している女性だし、俺たちより先に一人暮らししているのだ。ブラウン管工房の給料などたかが知れているだろうしどこかでバイトしていたという話だったから、料理ができたとしても何の不思議もない。そういうことであれば――
「どん兵衛と緑のたぬきのどっちがいい?」
「だと思ったよ」
 うん、そんな気はしていた。
 それでも一応希望的観測というやつで色々とモノローグを入れてみたりしたが、正直なところオチは見えていた。だって本当に料理ができて蕎麦を茹でるというのだったら、普通は鍋でお湯を沸かしてそこに麺を投入しようとするはずだ。奥の部屋に入って段ボールを引っかき回す必要はない。
「なんならラーメンとかパスタも」
「ああ、いや。蕎麦でいい」
「私もそれで」
 俺の言葉に続いて紅莉栖もそう言い、萌郁がその両手に持っているチキンラーメンカップとスパ王をしまうように促す。
 いや、うん。言いたいこともなくはないが、ご馳走してくれるというのだからそこで文句を言うのは礼儀知らずというものだろう。
 そんなことを考えている間に萌郁は手際よく――普段からは考えられないほどてきぱきと折りたたみ式のテーブルを引っ張り出し、カップの蓋を開けて中袋を取り出し、粉末スープとかやくを中に入れる。
 そしてどうやら繋ぎっぱなしらしい電気ポットから熱湯を注ぎ、あっという間に三人前の緑のたぬきを準備していた。ちなみにキッチンタイマーもセット済みである。
 普段の姿からは想像できないその手際に軽く驚き、書けるべき言葉を探している間にタイマーが三分経ったことを継げる電子音を鳴り響かせた。
「いただきます」
「いただきます」
「いただきます」
 そして三人でそう言うと、熱々の麺をすする。うん、美味い。腹が減ったときのカップメンは危険な美味さだと思う。
 特に言葉を交わすことなくずるずると麺をすすり、半分ぐらい食べたところで一度箸を置こうとしたあたりで、階段を景気よく駆け上がる音が聞こえてきた。
「あー、なんか美味しそうなにおいがするー!」
 言うまでもなく鈴羽である。
 かくして期せずして萌郁の部屋に俺・紅莉栖・萌郁・鈴羽という全員が揃うことになった。
 そして、自分が載ってきたタイムマシンを回収されて2036年へと帰還することが不可能となってさすがにショックを受けて落ち込んでいた気がする鈴羽は、思いの外元気だった。
「おお、鈴羽。その……元気だな」
「いつまでも落ち込んではいられないしね!」
「食事とかは大丈夫だったの?」
「うん、桐生萌郁にご馳走になってた」
「……ご近所さん、だから……」
 そう言いながらまた萌郁は奥の部屋から新たなカップメンを持ってくる。ああ、あれは一分でできるとか言うやつだったか。コンビニで見たことがある。
 そして相変わらず無駄に手際よく食べる準備を済ませてお湯を注ぎ、今度はタイマーを一分にせっとして鈴羽の前に置いた。そして一分後、タイマーが鳴ると同時に鈴羽は本当に嬉しそうに箸を手に持ち、「いっただきまーす!」と言うが早いか麺をすすり始めた。
 男女四人で小さな折りたたみテーブルを囲み、カップメンをすする。何だかシュールな光景のような気もするが、気にしてはいけない。
「しかしあれだな。なにか薬味とかがあればもっと美味く……」
 何となくそんなことを呟いてみたら、待ってましたとばかりに鈴羽が立ち上がった。
「ふっふっふ、そんなこともあろうかと!」
 そう言って、驚いて自分の方を見上げる俺と紅莉栖と――ここ数日で慣れたのかそもそも気にならないのか、緑のたぬきの塩辛いスープを飲み干す萌郁を見てから自分の分のカップメンを手に取り一気に食べて、カップをテーブルに置いてから言葉を続けた。
「二人とも、見て!」
 そのまま玄関から外へ。俺と紅莉栖はまだ食べきってなかったのだが、さすがにそうも言ってられない。
 鈴羽に促されるままに靴を突っかけてそとの廊下に出て、鉄柵越しに下をのぞき込むと――そこにはみごとな畑が広がっていた。
「……あんなの、あったか?」
「記憶にないけど」
 うむ、俺の記憶違いではないらしい。俺が最後に顔を出したとき、あそこは特に何もない――強いて言えば駐車や駐輪スペースに使えそうな空き地だったはずだ。
 しかし現に今こうやって見えるものは見事な畑であり、つまりそれは――
「今日一日かけて耕したんだよ!」
 そういうことらしい。そう言われてみれば鈴羽のスニーカーには土の汚れが目立つし、畑の脇にはどこから持ってきたのかわからないが鍬が立てかけられている。
「……どういうことだ?」
「うん。あたし家賃払えないから、せめてもと思って」
「ああ、なるほど」
 何が『せめても』なのかはわからないが、確かにここで野菜を育てられれば――もちろんここで本当に育つかどうかという問題はあるが、もしそれができれば食費の助けにはなるだろう。これも一種のサバイバル技能――
「って、ちょっと待て」
「ん?」
「お前、家賃払えないのか?」
「うん」
 言われてみれば、その通りである。鈴羽は家出娘であり、しかも本当に無計画に家出してきたらしいので、財布なんか持っていない。そして勿論この時代で働いているというわけでもなく――
「え、じゃあどうするんだ?」
「お願い、オカリンおじさん」
「おじさんはやめろ! と言うかなぜ俺が!」
「2036年に返すから!」
「断る!」
 鈴羽にとって俺は『オカリンおじさん』であり、そりゃあ2036年の俺だったら鈴羽に小遣いをやったりしていたのかも知れないが、今現在の俺はあくまで十九歳の大学生である。「よし、しょうがないな」などといいつつ財布を開くような余裕はないのだ。
 そしてふと思い紅莉栖の方を見ると、何も言わず階段を下りようとしていた。
「こら待て、この俺のピンチを見過ごす気か!」
「知らないわよ、何で私が!」
「貴様、俺の助手だろうが!」
「助手でもないしクリスティーナでもない!」
「ふふん、こちらは何も言ってないのに自分からその名を口に出すとはな。やはり気に入ってるのではないか?」
「そんなわけあるかっ!」
 そしてそんな風に言い争っていると、部屋の中からまた萌郁が顔を覗かせた。
「岡部くん」
「ああ、すまん。今度こそ五月蠅かったか」
「ううん、それはいいんだけど」
 いいらしい。桐生萌郁、こいつ案外大物なんじゃないだろうか。
「これ……」
 そう言ってドンキの袋を差し出してくる。
「ああ、すまん」
 萌郁の部屋に置きっぱなしだった。勿論取りに戻るつもりではいたが、せめて隅の邪魔にならないところに置いておくべきだったか。
 そう思って受け取ろうとするが、萌郁はなんだかまじまじと袋の中を見つめていた。
「これ、一人分?」
「ああ、いや。紅莉栖の分も入っている」
 客用の食器も入ってることもあり、そこそこの荷物になっている。それを見て萌郁も不思議に思ったのだろう。
 なので素直に答えたのだが、いつの間にか戻ってきた鈴羽は袋の中をのぞき込むと嬉しそうに言葉を続けた。
「あ、ほんとだ。歯ブラシが青と赤でお揃い」
「な――っ」
「ち、違うわよ! ただ単にコストパフォーマンスを優先して量産品を買っただけで」
「うんうん、そうだねー」
 鈴羽は凄く楽しそうだった。
 いや、本当に違うのだ。とりあえずドンキで目についた歯ブラシを二人ともかごに放り込んでそのまま買っただけであり、そこに他意はないのだ。
 だからここで慌てる必要はなく、紅莉栖のように愚かにうろたえてみせるとあらぬ誤解を生むだけなのである。科学者たるもの、いかなる時も冷静沈着に――
「岡部くん」
「なんだ」
 狼狽える紅莉栖を反面教師に冷静になった俺は、袋を手にしたまま問いかけてくる萌郁にそう答える。
「これ、うがい用のカップ?」
「その通りだが」
「一個しかない」
「……」
 その後、二人に説明が終わった――というか終わったことにして諦めた頃にはすっかり夜も暮れ、夜食にみんなでハコダテ一番をすすったことだけは記しておく。




 つづく



後書きとおぼしきもの


 実に4ヶ月ぶりの更新でした。2月には更新したいとか言ってたのはどの口かと。 
 そんなわけで書き方を忘れてて割と苦戦したりもしましたが、なんとか。アパート同居ものを書こうと思い立って書き始めたこの作品もなんとか引っ越ししました。5話でやっと。
 シュタゲで個人誌出すことはもうなさそうですが、こっちはじわじわ続けていく予定なので適当によろしくお願いします。

 ちなみにオカリンと紅莉栖は当然別々の部屋に住みます。部屋割りとかは6話で。いつの話か解りませんが。

2012.06.08  右近