あかね色に染まる坂りたーんず #03「登校風景」

 空は見事な日本晴れ。桜も散り、もう四月も終わりなのだがまだ十分春真っ盛りといえるぽかぽか陽気の過ごしやすい空気の中、俺は学園へと向かう坂道を歩いていた。
 ――闘志を胸にたぎらせて。
「に、兄さん。落ち着いて下さい」
「何を言う、湊。兄はこの上なく冷静沈着だぞ」
 隣で何だか心配そうに声をかけてくる湊にそう答える。
「体中から殺気を噴き出しながら言われても、欠片も説得力がありません」
「ほう」
 さすが我が妹。冷静沈着な仮面の裏から漏れる微かな殺気に感づくとは――
「兄さんが何を考えているのか大体察しはつきますが、とにかく落ち着いて下さい」
「と、言われてもな。確かにこの身に闘志は滾っているが、思考は至って冷静沈着だ」
 そう、戦いに向かうときの心構えは『体は熱く、心は冷ややかに』。素人は激情に駆られる前に戦うが、頭の中まで熱くなってしまってはいざというときに冷静な判断が出来なくなる。だからこそ――
「――はぁ。そろそろ学園だし、言わせていただきますが」
「なんだ、妹よ」
 戦いの場所が近くなってきたことを知り、さしもの俺にも闘志が抑えきれなくなり、軽くフットワークを踏みつつシャドーを始めた俺を見て、何故か湊は冷ややかな目でこっちを見ながら口を開く。
「今の兄さん、わたしと会ったときの兄さんみたいです」
「? 湊と会ったときって言うと――」
 確か小学校に通っていた頃だったと思うが。
 湊と初めて会ったときの俺と言われても、正直あまりピンと来ない。
「あ、いえ。違いました」
 俺が考え込む姿を見て気づいたのか、湊は慌てて言い直す。
「『初めてわたしと会ったとき』ではなく『わたしと久しぶりに再会したとき』です」
 湊と再会したとき。
 なんだかんだで離ればなれになっていたオヤジと母さんがよりを戻したときの俺というと――
「そうです。あの恥ずかしい特攻ふ――」
「やめてー!」
 体は熱く、心は冷たく。湊の衝撃の発言を聞いてしまった俺としては心を冷たくなんて出来はしなかったが、だからこそとっさに湊の口を押さえてそのまま路地へと引きずり込んだ。
「みみみみ湊さん。その記憶は早急に捨て去っていただけると非常に助かるのですが」
「兄さんが落ち着いてくれたら考えてあげます」
「わ、わかりました!」
 びしっと敬礼を決めて心を落ち着ける。
「ほら、大きく深呼吸」
「ウッス!」
 一回、二回、三回。
 湊に言われるままに、ラジオ体操ばりに全身を使って大きく深呼吸をすると、段々と落ち着いてくる。
「落ち着きましたか?」
「はい、ばっちりです!」
 再度敬礼する俺をじっと見つめた後、湊はくすりと微笑んだ。
「よかった。いつも通りの兄さんに戻ったみたいですね」
「自分ではそのつもりであります!」
 端から見ると変に見えるかも知れないというか間違いなく変だろうが、今の俺は湊に対して礼を失するわけにはいかない。
「よかったです。このまま兄さんがジェノキラーに戻ったらどうしようかと」
「やーめーてー」
 じたばたとしながら、我が愛しの妹様に哀願する。
『長瀬準一、人生の恥部ランキング』をつけたら間違いなくばりばり全開ナンバーワン確実なあの中学時代。まあ家庭環境とか何とか色々言い訳は出来るかもしれないが、俺としてはアビスの彼方に葬り去りたいあの過去を持ち出されては逆らうことなんて出来はしない。
「兄さんが怒る気持ちもよくわかりますが、突っ走りすぎです」
「はい、申し訳ありません」
 まあ、俺が何を怒っているかというとこの前の夜の話なワケだが。わかりやすく言うとなごみを我が家に送り込んだ、アミティーエの報道管制局こと霧生つかさ。勿論なごみに対する怒りもなくはないが、やつに対して下手に手出しをした場合は報復が怖すぎるのでひとまず置いておく。比喩でなく命が危ない。
 そんなわけで、どうやらなごみを影からけしかけて色々してくれたあの女に報復するために、いざとなればあの無駄にでかい乳を――
「兄さん?」
「は、はい! なんでしょうか!」
 再度敬礼。
 いかん。また思考が爆走して良からぬことを考えたことに気づかれたのか、湊さんが素晴らしく冷ややかなジト目でこっちを見ていらっしゃる。
「正直なところわたしも思うところがありますので兄さんに『何もするな』なんて言いませんが、あんまり変なことをすると――」
「どうなるのでしょう」
「兄さんの輝かしい青春時代の写真をみんなに見せてしまうかも知れません」
「ぶふぉっ!」
 湊が取りだした写真を見てリアルに吹いた。
 そこに映っているのは、湊が言う通り我が青春時代の写真。
 いや多分世間一般から見れば今現在だって青春時代だとは思うんだけど、今俺たちが言ってるのはそうではなく、そう――
「あの日わたしがびりびりに切り裂いた特攻服ですけど、よく見ると色々刺繍してあったんですね」
「やーめーてー」
 もう泣くしかなかった。
 そう、そこに映ってるのは俺のヤンチャ時代。今だって十分ヤンチャな気もするが、それはさて置き俺の中学時代。
「背中に愛羅武勇て。書いてる言葉と漢字がまったく持って不釣り合いもいいところですね」
「刺繍はセット価格だったんだよう、許してくれよう」
 湊にすがりついてさめざめと泣く。ああ、今タイムスリップして過去の俺に会えるなら今すぐ言って止めてやりたい。あの時は確かにこれがかっこいいと思ってたんだ。社会に刃向かう十五の夜。
「というか、そんな写真がどこに」
 湊と再会してマンションの前で特攻服を切り裂かれたあの日、そのまま家の中にあった写真やらなんやらも全部焼却処分に処されたはずなのに。
「この前父さんから『荷物整理してたら古い写真が出てきたので送る』ってわたし宛に郵便で」
 よし殺す。とりあえず今、俺の殺意のほぼ全てはオヤジに向けられた。あのオヤジ、まだ俺に負けたことを根に持ってるのか。
「とにかく。仕返しをするとしても、もうちょっと方法を考えて下さい」
「はい、すみませんでした」
 そう言って素直に謝ると、湊は写真を生徒手帳にしまった。好きな娘の生徒手帳に自分の写真が入っているというのは実にロマン溢れる現象だが、あの写真は勘弁していただきたい。
「……あれ?」
「何ですか?」
「いや、仕返し自体はしてもいいのか?」
 いつもの湊だったら、俺を宥めて何もしないようにすると思う。
 そんなわけで不思議に思って効いてみると、湊は答えを返してくれた。
「さっきも言いましたけど、わたしにも色々思うことがあるんです。その――」
 そこまで言うと一度言葉を切り、頬を赤らめたけど、それでも途中で喋るのをやめることなく言葉を続ける。
「せっかく兄さんが早く帰ってきてくれたのに、あんなことになってしまって」
 そこまで言うことが限界だったのか、湊は俺に背を向ける。
 そんなわけで俺から湊の顔は見えないが、それでもその顔が真っ赤になってるだろうことは想像がつくというか耳どころかちょっと見えるうなじまで真っ赤である。
「あー、うん。すまん」
「何で兄さんが謝るんですか」
「いやその、まあ何となく」
 まあ今回の件に関して悪いのはつかさとなごみであり、俺は悪くないと思うんだけどそれでも何となく。俺がもうちょっとしっかりしてれば何とかなったのかもしれないし。
 実際のところ俺が少し気をつけたところで『計画:つかさ 実動:なごみ』という、おそらく今年度のアミティーエでもトップクラスのコンビ相手に俺ができることなんてほとんど無いのかも知れないが、それは俺の実力不足でありただの言い訳だ。
「本当にごめんな」
「に、兄さん?」
 こんな俺が今できることと言えば、実は寂しがりやな妹をそっと抱きしめてやることぐらいだった。
「学生会の仕事も、それなりに切り上げて帰ってくるようにするから」
「でもそれだと、冬彦さんに迷惑が――」
「まあちょっとは大変かも知れないけど、湊の方が大切だから」
 そう言って少し強く抱きしめる。
「兄、さん――」
 そして、そう呼びかける湊をそっと振り向かせる。
「進級して色々変わったかもしれないけど、俺が一番大事なものは変わらないから」
「はい」
 そして嬉しそうに笑顔を浮かべる湊を正面に見て、その唇に俺の唇を――

 キーンコーンカーンコーン……

 近づけようとしたらチャイムが鳴り響いた。
「……湊、今の」
「……予鈴ですね」

よれい【予鈴】
 開演・操業開始などの合図に鳴らす本鈴に先立ち、その少し前に鳴らすベル。
 三省堂提供「大辞林 第二版」より


 ちなみに我が校、私立アミティーエ学園において予鈴は始業の五分前に鳴り、始業と同時に鳴る本鈴の時点で教室に入っていないと遅刻となる。ちなみに今現在の位置から学園までは全力ダッシュで五分程度。
 ギリギリというかほぼアウトだが、実際のところ教師が出席を取るときに席に着いていればセーフなのでセーフになる可能性もゼロではない。
「兄さん、走りますよ!」
「おう!」
 俺と同じ考えに至ったらしい湊のかけ声に応えて、二人で坂を駆け上る。
 この、色んな思い出が詰まった坂道を――
























「で、遅刻の理由を聞かせてもらおうか」
「ええその、やむを得ない事情と申しますが」
 まあ確かにセーフになる可能性もゼロではないというか、例外を除いた大半の教師はチャイムが鳴ってから教室に着くまでに多少のタイムラグがあるわけだが、我が担任であるところの杉下先生はその例外であり、チャイムと同時に教室に来て連絡と出席を瞬時に済ませて行くお方だったのであった。
「せんせー、通学途中にジュンがみなっちを路地裏に引きずり込むのを見たという目撃証言があります」
「テメェつかさ! もとはと言えばお前のせいでなあ!」
「この変態。湊まで巻き込むんじゃないわよ」
「いやだから、聞け俺の話!」
 何故か事情を知ってるらしいと言うか、まあ確かにつかさの言うことは事実であり朝の通学中にそんな光景があったらその情報がつかさに行くのは当然と言えば当然であり、優姫が隣の席から容赦ない罵倒をかましてくるのもまたとうぜんなのかもしれないけどそれでも。
「いいだろう、言ってみろ」
「ああ、いやその」
 それでも言いたいことは確かにあったけど、それをどう捻っても遅刻を許して貰える正当な理由になるとは思えず、さらに言えば俺がちょっとやそっと頭を捻ったところでこの先生を誤魔化せるとは思えない。
「放課後、中庭の草むしりな」
「了解いたしました」
 そんなわけで俺は処罰を素直に受けることにして。
「そういうことであれば、今日は学生会の方には顔を出さなくても構いません」
「さんきゅ」
 親友の心遣いを素直に受けることにした。
「まあ俺も鬼じゃない。全て正直にありのままに話すのであれば仏心を出すかもしれんが?」
「いえ、草むしりの方でお願いします」
 そして俺の答えを聞くと、先生はHRを終わらせて教室を出て行った。
「変態」
「ジュンのすけべー」
「うっさいわい!」
 そして出て行ったとたんに再度の罵倒をかましてくる元許嫁と悪友に吠え返す。
 何かもう仕返しとかそんなの無理な気がしてきたが、俺は負けない。ああ、絶対だ。
「準一」
「ん?」
 決意を新たにしていると、冬彦がいつもの笑顔で俺の席の前に立っていた。
「屋外での行為を止めはしませんが、周囲の確認はしっかりとするべきです」
「してねえ!」
「おや。週末はなごみさんのせいで何もできずにいたのでとうとう我慢できなくなったのかと思ったのですが」
「……で、お前はどこまで噛んでいるんだ?」
「おっと、数学の先生がいらっしゃいました。この話の続きは後ほど」
「こら冬彦、逃げるな!」
 とりあえず、俺の味方は少ないというかクラスにはいないっぽい。


後書きとおぼしきもの


 そんなわけで、超久しぶりの完全新作なSS。前に書いて公開したのはいつなのかとか聞いちゃダメです。
 本当は三月末に公開予定だったのが延びた上に短いし内容もぐちゃぐちゃかも知れませんが、リハビリ代わりに『短くても、最低隔週一本。出来れば週一本』で書いていこうと思いますので、心の広い方はおつきあい下さい。
 まあ、この連載じゃないのを書くかもしれませんが。例えばアルトネリコ2の母さんとか。
 あと、今回プロット無しの状態で一気に書いたらこんな感じに。予定では教室に行った準一がつかさや優姫と色々言い合う話ななるはずだったんだけど、導入に湊を書いたらこうなりました。はっはっは。
 第四話は全員集合で『新学生会』メンバー勢揃いの昼ご飯とかになるんじゃないかと思いますがあてになりません。まあ適当にお待ちくだせい。

2008.04.04 右近